益子直美の現在は代表理事?若い頃はバレーが怖かったって本当?これまでの経歴を紹介

益子直美の現在は代表理事?若い頃はバレーが怖かったって本当?これまでの経歴を紹介

現役時代には大林素子らと一緒に女子バレーボール界で活躍していた益子直美さんは、現在は代表理事として活動されているという噂があります。長年現役で活動されていた益子直美さんですが、実は若い頃はバレーボールが怖かったというエピソードもあるようで、今回は若い頃から現在までの噂や経歴について紹介していきたいと思います。

目次

益子直美の現在は代表理事?

益子直美さんは中学生の時にバレーを始め、東京選抜に選ばれた後高校進学後には全日本代表に選ばれるほどの実力の持ち主です。益子直美さんの地元である共栄学園高等学校に進学し春の高校バレーではバックアタックとジャンピングサーブを武器に連勝し続けていた学校を破り準優勝に輝いています。その後高校3年生の時に全日本代表に選ばれ1980年代後半から1990年代前半まで女子バレーボール界で活躍していました。

日本リーグで初優勝

益子直美さんは1985年イトーヨーカドー女子バレーボール部に入団し、1990年には日本リーグで念願の初優勝に貢献します。しかしその後も日本代表メンバーに選出されますが、オリンピックに出場することは叶わず1992年に現役を引退することを発表しています。引退後から現在まで様々なことに取り組まれていますが、2021年に協会の理事に就任しています。

引退後の活動

益子直美さんは現役引退後に出場選手の事前合宿のレポートを務め、所属していたイトーヨーカドーのアシスタントコーチを務めていました。その後1993年に退社し1996年にはテレビ朝日のアトランタオリンピック関連のメインキャスターを務めています。2015年に淑徳大学のバレーボール部監督就任契約を結び、23年ぶりに現場復帰をしました。そして6部リーグで低迷していた淑徳大学を、2年で4部リーグへと浮上させ監督としての実力を見せつけます。

様々な協会や団体の役職についた

益子直美さんは2019年に福岡県宗像市で開催された「益子直美カップ小学生バレーボール大会」で「監督が絶対に怒らない」を決め事としていることが話題となりました。2021年には日本バレーボール協会理事に就任し、2023年には女性初の日本スポーツ少年団本部長に就任し日本スポーツ協会副会長にも就任しています。引退後から現在まで様々な場面でバレーボールに関連した場で活躍されています。

若い頃はバレーが怖かった?

益子直美さんは現在バレー関連の仕事を行いながら、指導者としても活躍されています。しかし若い頃はバレーが怖かったという噂があるようです。これについてはインタビューで本人からの言葉がきっかけであるといえます。益子直美さんは中学生の頃からバレーを習っていたそうで、練習に行くのが億劫だったと語っています。当時指導を行っていた監督が非常に厳しかったこともあり、中学3年の頃に一度バレーボールを辞めているようです。

バレーが嫌いだったのではなく暴力や勝利至上主義に嫌悪

益子直美さんは現在怒ってはいけない大会やスポハラの活動を行なっていますが、その根底にあるのは自身のバレーボールの中での経験だったと語っています。バレーボールの練習では厳しい指導にストレスを感じ、選手時代にも辞めたくて仕方なかったそうです。そうした過去のストレスを経験しバレーボールから避けるようにしていた中で、パラリンピックのシッティングバレーをプレイした時にバレーが嫌いなのではなかったのだと気がついたと明かしています。

自身の病気を経てバレーへの気持ちが変化した

益子直美さんは50歳の時に不整脈の一種である心房細動が見つかり手術をされています。それまでメディアや講演などの場では、バレーボールが嫌いだったとは人前ではいえなかったそうで、子供たちの憧れの眼差しに心苦しかったこともあったようです。しかし手術を経て入院中にこれまでの人生を振り返り、自分が大好きだったバレーをどうすれば嫌いにならずにすんだのか考えたと語っています。

自身が恐怖を感じた指導をいつしか自分でも行なっていた

益子直美さんは2015年から淑徳大学でバレー部の監督をしていた経歴があり、そこでは6部リーグだったチームを3部まで上げることに成功しています。しかしそこから他のチームからのプレッシャーや自分のチームへの焦りからか、勝利至上主義になってしまい指導方法も怒りで行なっていたのです。自身の嫌っていた怒る指導を自分が行ってしまうという自己嫌悪に陥り、パニック障害に近い症状も出てしまったことがあり、ストレスが病気につながっていたのだと考えたと明かしています。

益子直美のこれまでの経歴

益子直美さんの現在は女性初の日本スポーツ少年団本部長としてだけでなく、日本スポーツ協会副会長にも就任しています。これまでの経歴としてはバレーボール全日本代表として世界選手権に1986年と1990年に出場しており、1989年にはワールドカップにも出場しています。1986年には日本リーグの新人賞を受賞し、1990年には日本リーグのベスト6の受賞歴をもっています。

バレー選手として活動後には自身の経験を活かして

益子直美さんはバレーボールの日本代表選手として活躍し、国際大会にも出場した経歴を持っています。そして引退後には解説やキャスターとして活動しながら、監督やコーチとして指導者としての経歴も持っています。現在では自身の目指す指導者の方針を組み込んで怒ってはいけない大会を開催し、指導者のあり方も変えていこうと活動されています。自身の経験した過去をこれからの子供たちが経験しないように取り組む姿はメディアでも多く取り上げられています。

まとめ

今回は日本代表として国際大会に出場した経歴を持つ元バレーボール選手の益子直美さんの現在について紹介していきました。選手時代の活躍はもちろん引退後もバレーボールの指導者として、活動されていましたが病気をきっかけに自身のこれまでを振り返るきっかけができたそうです。そして現在では病気を乗り越え、監督が怒ってはいけない大会を開催しながら子供たちの活動の場をより良いものにしていくため尽力されています。

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